胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

労働と対価についてあれこれなごがつばれ

ラーメンを食べてても美味しい仕事と、高いステーキを食べてても不味い仕事がある。
仕事や会社を通して得られる幸せは必ずしもお金に直結しているわけじゃない。
その測量はそれぞれだから、譲れないモノを見つけなさい。

尊敬している先輩が、この先の転職について悩んでいる友達に言った言葉。

かつて私には、アイドルのマネージャーとして、エンタメ界人の端くれらしく、奔走している日々がありました。
どんな仕事もそうですが、それぞれの大変さがあり、極端に身体を使ったり、短時間脳みそを高圧プレスして絞り出すような仕事もあります。
私の場合は、とにかく寝る時間がない、休みがない、人が足りない、一人で抱えるアイドルの数が多い、本来の業務以外のことにも時間を割くから単純に色々間に合ってない。とか。
新卒で、こんな状況で、ろくに教えてくれるような人もいなくて、よくもまぁ、駆け抜け続けてきたなと今思うと自分を感心する。
けど、最高に楽しかった。毎日大変で、叱られることも泣く事も、泣かせた事もたぶんある。そして私はきっと、生意気でもあった。それでも、それこそラーメン食べてても、添加物だらけなロケ弁でも、なんなら食べる暇がなくても、その瞬間瞬間が楽しかった。
エンターテインメントに興味はあっても、まさか自分がマネージャーになるとはこれっぽっちも思ってなかったにも関わらず、初めから決められていたかのように居場所がそこにはあったし、新卒相手に沢山の仕事を任せてくれたなと今となっては思うけど(当時も運営体制には大いに疑問を抱いていたけど)、とにかく楽しかった。やりがいが、ほんと、てんこ盛りにあった。
人は、途中でやめてしまった私を、中途半端というかも知れないし、勿体無いとも言う。
こうしてフラフラして見える私を心配してくれる人もいれば、半ば諦めてる人もいる。
でも、もうやりきった。
いつかまたその世界に帰りたいとは思いつつ、ここ数年どっぷり浸かれなかったのは、やっぱり大変さを知ってるからであるし、その分の楽しさも知っているから。あの時のような気持ちでは、どんなアイドルやアーティストとも接せられないと思うからだった。彼らは、あの会社は、いわば私の青春だった。

と、少し前の私ならここでしんみり懐かしく思うのですが、私はもう次のステップに進みました。
新しい、やりたかったことへのチャレンジ。
たとえそれが、大きな成功に繋がらなくても、たとえそれだけじゃ食べていけなくても、挑み続けてみたいと思える確信がやっと持てたので、長い冬眠期間を経て私は春を迎えましたよ。
そっち側へとっとと行くから待ってろよな。とは、まだ、おこがましくて言えない。
けど、静かには思ってる。

労働と、それによる対価が必ずしも経済的余裕とイコールするわけじゃない。し、心の余裕や豊かさかとイコールするわけでもないんだなこれが。
それに明日はすぐそこに迫っているし、毎日不安に飲み込まれそうに夜を迎えてるんだよだいたいがみんな。
それか、見て見ぬフリ、気づいてないフリ。
鈍感になったフリしてるんだよ。

でも、だからこそ、言いたい。
後悔しないことな。なにを選んだって、後悔しないこと。やりたいことがなくてもいい、見つからなくてもいい。
でも人生楽しんで、笑って泣いて、怒って嘆いて、ボーッとして。
らしく!らしく生きていけよ。
人生一度きりだぞ!
浮き沈みが激しい方なので、数ヶ月後にはガックリ落ちてるかもしれない。
それでもたぶんもう大丈夫。そこも楽しめるくらいタフになった。どんどん荒業の中へ自分を差し出してとことんまで自分のマゾヒズムを引き出したいね。

友人に向けた先輩の言葉に、勝手に背中を押されて四月を終えたのでした。