胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

無題

みなさんこんにちは。

 

実に2年弱ぶりの更新です。

この間特別何かがあったわけではなく、

でもあったと言ったらあったし

なんと言いましょう、私は元気にやってます。

言い訳をするとしたら(てへ!)

MackBook Proがなんと9年戦士で古いもいいところ。

私が一文書くと3秒くらい後になって文字だけトトトトん(トカトントンじゃないよ!)って画面に表示される様になるの。

それがめんどくさくて、誤字脱字などのチェックにかなり時間がかかるんですよ。

だからなの。というのはほんと、とんだ言い訳。ケータイからもアクセスできるじゃん!

 

さて、

いかがお過ごしでしたか?

一個前の記事を読むと、私富士山に登る前だったみたい。

富士山、とっても楽しかったですよ。ちゃっかり高山病にもなりました。

こんな風に一行で済ませたくない話なので別途記事を書くつもりではいます。いつ?

 

富士山でしょ、ラグビーワールドカップでしょ(がっつりにわか継続中〜2021.4.3現在)、

ダイエットでしょ、あとコロナ。

 

コロナの前と後じゃ、世界中が様変わりしてしまって色々と未だに戸惑ってます。

今すぐにでも会いたい人と1年以上お預け状態です。

みんなそうでしょうけど。

元々出不精だったので家にいることは全然へっちゃらなんですが、

こうも遮断されるとね。

会社からの帰り道に気づく季節の変化とか。風の匂い。空の高さ。

ぷらっと出かけた先でニュートラルになること、とかさ。

そうした日々のわずかな発見や楽しみが世界中で規制されてしまっていて、

【豊かさ】をどう補うべきなのか。というのをとてもとても考えてしまいます。

我々は、対自分以外とのふれあいの中で自己を認識していたんだなぁと改めて思う一年でした。

半径1メートルの人の大切さ。も学んだ一年です。

 

コロナに関してはみんなと話たいことがかなりあるのですが、

一つだけ言えることは、人間は信じたい様にしか信じない。ということ。

情報が多すぎてね。

だけど、だいたいみんな同じことを思っている人と交流したいという同調意識が働くからさ、

どんどん分裂も増していくんだろうなというのが率直な感想です。

信じる派・信じない派、ワクチン打つ派・打たない派の対立構造や二者一択でしか許容されない世の中はとても危険に感じます。

 

 

というわけで、やっぱり普通の日々を記しておくためには、私はブログを書くしか方法がなくて、

時代を切り取るとか、そんな大層なことは思ってませんけど、

心の風化をさせないために、細々〜とまた続けていきます。

よろしくね。