胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

近しい人を亡くした。
連絡が入った時、私は会社のトイレでこっそり休憩をしていて、姪のお迎えを頼まれていた日だったから、早退まであと少し。とか思ってた。
家族のグループラインで訃報を知る、それも丸腰で。
みっともなかった。だれも知る由はないけれど。

身内が亡くなったというのに、
私は、どうやって母を田舎へ送ろうか、
これから姪と甥を迎えに行って、
四日は戻ってこないだろう母を抜きにしてどう週末を越そうか。そんなことを考えて、
いつもひょっこり顔を出す些細なハードル達が、ほんの少しだけ高くなって、それをクリアするためにグループラインはいつもより騒がしかった。

会社を出たら、空がとても晴れていた。
こんな空なのにと思ったけど、
身内の死と、空の青さはどこをどう取っても混じり合うことはない。“なのに”は意味を為さない。
都合のいい考えだと思って自分が嫌になった。

母が田舎に戻ってから、私達は極力普段の生活に変化が出ないようみんなで工夫した。
家族の誰かが、
今頃向こうではみんなが泣いていると言った。
じゃあ私達は?
私はふと、亡くなった彼女を本名で呼んだことがないことに気づいた。

帰ってきた母は、葬儀や田舎のみんなの様子を話してくれた。
黙って聞いていたけど、気づいたら泣いていた。
ペッパー警部を歌いながら運転してたことを思い出した。
あれは夜で、とても楽しかった。
母に初めてその思い出を話した。
だけど、彼女との確かな思い出はそれくらいしかなかった。
ほんとの名前もあやふやなくせによく泣ける。
とことん厭らしいなと思った。
昔からすぐ泣く自分と、どうして泣いているのか分からないこととが嫌いだった。
悲しいからでしょ、寂しいからでしょと言われてもそうではなくて、全く見当違いのことを言われても、じゃあなぜを言葉にするのはとても難しかった。
私はただ、物悲しいこの気持ちを泣いて消化したいだけなんじゃないか。
私が彼女を悼むなんて、おこがましいことなんじゃないか。

喪失はどうしたって埋まらない。
ただ少しずつ慣れていくだけだ。
ずっと、瞳の奥の一部が欠けたまま過ごしていく。
腹が鳴って、水を飲み、うたた寝して、誰かに抱かれても、
正副控のようにはいかないから。
どうしたってそういうわけにはいかない。
たとえ似た者同士でも、私はあなたじゃないのに、
寄り添うなんて簡単に言ってごめんなさい。
今までの色んなことに、そう思った。

そう思うようになって、どんどん分からなくなった。
私は、私以外の誰かになれないことを、許せるのだろうか。


今日、駅で喪服姿の群れを見た。
故人はどんな人なのだろう。
みんなどんな関係で葬儀に向かうのだろう。
今、何を思ってるんだろう。
何を遺して、残されたものは何なのだろう。

もう二度とその人に会えないという事実は、
この群れの人たちの心をどれほど埋めているのだろう。

夜のしじま

いつもその可能性に近づきたいと思うけれど、
言葉なんて何の意味ももたない瞬間があって、
そのことにあなたも早く気づいて、
気づいたならそっとしておいて欲しい。

慰めも、寄り添いも、怒りも、悲しみも、
外からはなにもいらない。
静寂を見つめ続けるのは当事者達だけで充分。

恋をすると

恋は盲目と少女に向かって言ったりしますが、私はこの言葉、男性の方により向いてるんじゃないかなと思います。
こんにちは。

一年前ショップで正規に買った白のiPhoneケースが、もうボロボロ。
みすぼらしい感じに色々欠けてきてます。
ゴロピカドンのケースに明日から戻そう。

でもゴロピカドンじゃケースが大きいからポッケに入れられないんですよね。いつも悩むところです。
首からぶらさげようかな、よく落とすし。
そうすると肩凝るんですよね。スマホって地味に色々不便だと思っているんですがどうですか?未だに手もつるし。どうでもいい?


先日、韓国のバンド 혁오 (ヒョゴ Hyukoh )のライブに行ってきました。
幼馴染がすごく好きで、一緒に行きました。友達のお姉ちゃんやそのお友達も一緒に。

もともと韓国ではとても人気なので知ってる曲もあるし、普通に聞いていた。
けど今回のライブ、初ヒョゴ、ヒョゴおろしが想像をはるかに超える素晴らしさで、
ライブ終わってもうすぐ1週間、余韻がまだ残ってまして、終わってからの方がいっぱい聴いてる始末。スルメイカみたいなバンド。
歌詞もとても良いです。声もとても良いです。
演奏もとても良いです。
いいことしかないではないか。

この写真はシックだけど、照明も芸術的に美しく、踊りっぱなし浸りっぱなしな一時間半。
あぁー幸せだったなぁ。
ここからは写真撮っても良いよな時間があって、みんなが似た絵面のケータイを掲げていた。可笑しかったけど私もその一人。
そりゃ動画だって撮りたいよね。この瞬間を記憶してたいよなるべく本物に近い形で。
そんなことは不可能だけど。


さてご覧あれ、
私たちの浮かれポンチな足元と愉快な顔を。
公演後に外で踊ってます。

看板の写真は撮るの結構ハードで、看板に合わせると人物が飛び、人物に合わせると看板が真っ白に飛び、
何回も何回も撮り直して奇跡的にどっちも写ったのがこれ。



嬉しかった。
最近ライブといえばお仕事で神経減らして三時間。
そんな感じばかりだから、
純粋に客として、大きすぎない会場で、みんなヒョゴの為だけに集まってて、私もその一人で。
今の仕事に不満とかでは無く、それはそれで責任感を持ってさせていただいていますけども、完全にオーディエンスになれること、何も考えずにいれること、純粋に音楽をそこにいる人みんなで楽しむそういう時間って大事だなと思った。
こういう瞬間がやっぱり好きだ。


ヒョゴよありがとう。たどたどしい日本語や口べたなMCなんかも全て良かったよ。

そして幼馴染のぱよちゃんありがとう。
また行こうね。

私のシナモンアップルサイダーよ

AM0:22

シナリオの課題をせっせか書いている。
明日は半年通った講座の修了式で、私は11月から研修科に進んでいくわけですが、
早かったなー半年間。長かったとは全然思わなくて、気づけば私の嫌いな夏は終わって、なんの感情もない秋ももうすぐ終わるのだ。
講座が始まった頃、無駄に早起きして8時には表参道のスターバックスB-side店に居座って課題をしてた。
まだ10ページもなかったからそれも可能だったけど、次第にページ数が増えちょっときつくなってきて、
二時間の滞在時間は10分に激減しました。でも、休み以外の毎週は、あそこに通っていたことになる。
B-side店といえば、冬は期間・店舗限定でシナモンアップルサイダーが飲めるのでよく通うのですが、
シナモンアップルサイダーはスターバックス初期の初期。私が確か中1くらいの時、
千葉県は市川市南八幡ニッケコルトンプラザにあったスターバックスでこれでもか!ってくらい飲んだ、大好きだった冬の勝手な風物詩だったのですよ。
こんな美味しい飲み物が存在するか!と感心したほどハマりにハマって冬=シナモンアップルサイダー🍎だったのに、急にぱたっと無くなって、
聞けば機器が故障するから製造中止になったとの悲報。ガックーン!!て悲しみに肩が地の反対まで落ちたあれは確か中3の冬。
あの時は恋も家もなにもかもうまくいかなかった、私の感情も全て。(うまくいった恋とかあるのか?)
精神は病みに病んでたと思われる。ま、中二病と誰かがいえばそれまでなのだが。
だからB-sideで飲めると知った何年か前なんて、だれにも気づかれない程度に2ステップを踏んだよ。ルンルン
店員さんに声なんかかけちゃって。これ、いつまでですか?とか言って、いついつまでなんですよぉ美味しいです!あ、私昔よく飲んでたんです、そうなんですか店舗限定期間限定でここだけでやってるんですよぉ〜とか言われちゃって。
それから私は、ここで飲まなきゃ越冬できん!と息巻いてメッカのごとく。向かうのです。
明日も飲もう。

それと、春からずっと行きたかったまた別の講座に通えるようになりました。
毎日それについてやシナリオについて考える時間があること、幸せです。

大阪にて

お久しぶりです。

いかがお過ごしですか。

 

私は女6人韓国5日間の旅を終えて胃腸を壊し

すでに回復中。

今はせっせと働くために大阪に来ています。

ホテルなう。

大阪駅で在来線に乗るのに一人右往左往。

迷子になりかけまして2人に声をかけました。

検索した電車に無事乗れた安堵感たらないよね。

 

そして春前からずっとキャンセル待ち予約をしていた講座についに行けることになり、

もう気持ちはシナリオとそのことばかりです。

土曜日は忙しくなる、毎日も、もっと忙しくなる。

 

インスタグラム、ツイッターの類は当分お休みしようと思ってます。

ま、誰かが更新を心待ちにしているというわけでもないので、

とくにどうってこともないんだけど。

超集中を持続させるには、わざわざ休止宣言をするのも私の性格だとありかなと思って。

ブログは更新していく予定です。

 

今の私は、トンネルにいる気分。

いつか抜ける日が来るのだろうか。

やばい、またこのループだ。

ホテルにいるとこういうこと考えるよね。

いやホテルじゃなくてもでしょ!

 

夏目漱石のこころを読んでます。

どこをとっても美しい表現ばかりでほっぺがポッとなります。

 

以上、おやすみを大阪より。

S.O.S.

AM1:57

旅日記になるなどと嘘を言ってごめんなさい。
写真の整理に追われ、もう少し時間がかかりそうなのです。
なので今日は別の話をしましょう。

先日仕事の帰り道に突如訪れた甘いものが食べたい私!的感情。
姉と待ち合わせ駅でケーキを買って帰ります。
買うのは8割タルト、2割シフォンと決まっています。
なぜなら甘いものが得意じゃないから。
だけどなぜケーキが食べたくなったかというと、それは体が欲しているからですね、素直に従って摂取したいです。
母はいつもモンブランと決まっていて、父にはショートケーキを買っていけば事足ります。
ヒーローならスーパーマン、ロックンロールならエルヴィス、アイスならモナカ、ダイエットなら走り込み、といった調子の人なので、ケーキもやはり、イチゴのショートケーキなのです。
誕生日にはもちろんホールで買うし(私は上のイチゴしか手をつけません)
、ピースで買うときも選ぶのにこちらが迷うことはないのです。
なんだかんだ言うてショートケーキ、なんだかんだ言わんくてもショートケーキ、そんな男です。

がしかしその日、いつもより帰りの早い父にケーキあるよと姉が言えば、もしや…と怪訝な顔つきで、

ショートケーキ、、、?

と聞くのです。

なにその顔。
当たり前じゃないか!一番好きではないか!
姉妹は返しましたが、
父は初めて娘達の前で告白しました。

ショートケーキ以外も食べてみたいのよ。
あんたらのマスカットが乗ってるような、メロンが乗ってるようなお洒落なケーキ、
わしもいい加減食べてみたいんよ。


この衝撃をなんと言えばいいのでしょうか。
あんなに美味しそうに毎度イチゴのショートケーキを食みながら、
そんな思いを抱いておったんかい。

いつもケーキ食べながらショートケーキが一番好きって言うじゃん。
食い下がる姉。

娘の好意を無下にすることは癪だそうで、
今の今まで口には一切出さず、一口ちょーだいも言わずショートケーキを食べていたとのこと。
ショートケーキがきっと一番好きでしょうが、浮気してみたいんですね。
隣の芝生は青いってやつです。
娘になって30年、未だ分からないことばかり。

余談ですが、私は甘いものが不得手と言いましたが、生クリームもあんこも程々には食べられます。あんみつを完食する自信はありませんが大福程度のあんこ量なら食べられます。渋茶が必須ですが。
ブラックコーヒーを飲めるようになってからは幾分マシになりました。
あんまっ!!を瞬時に包んでくれるブラックコーヒー、お茶、貴方達は天才かよ。飲めようになってほんと良かった。
甘いものが単体で存在することが苦手なんだなと書いてて思った。何かと調和されたりするといいのです、きっと。

そしてもっとも苦手なお菓子はフィナンシェ、マドレーヌ、カステラの類です。バームクーヘンはイケます。対バームクーヘン、これ似ているようで全然違うのです。
フィナンシェなんかの、糖分がじゅわっと広がるあの瞬間を想像するだけでも顔が歪みます。
同じ理由で、きつねうどんも苦手です。
うどんは好き、赤いきつねは食べますが、お揚げは誰かにあげてしまいます。
それってもうきつねうどんじゃないんじゃないかって言われますが、
そうです、もうきつねうどんじゃありません。素うどんです。
だけど私には、あのうどんとかまぼこだけで充分に赤いきつねなのです。
要は形がどうであれ、赤いきつねを食べているという既成事実が大事なようです。

ストロベリー オン ザ ショートケーキ
昔のドラマを思い出しました。
主演のタッキーが芸能界を引退するんだって、今日会った友達のとても悲しんだ顔。
彼の持つ影響力たるや!

旅について

昨年、30歳記念屋久島一人旅を皮切りに、2ヶ月で旅行に三回行きました。
その後も秋冬にかけて二度ほど。
どの場所でもとても、とてもいい時間を過ごせました。
ずっと記したいなと思っていたのだけど、
当時はこうして書くよりも、誰かに会って旅の話をしたいと思っていて、まだ心にそっと閉まっておきたい素敵な記憶だった為、
一年過ぎた今頃、書き記しておこうと。。。

ここから何個かの記事は旅の備忘録、
あるいは超絶感傷どハマり紀行文となりそうです!
どっちに転ぶかは分かりません。
されど一貫していることは、
全くいつもの通りの自己満日記ということです。
乞うご期待!