胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

午前3時過ぎホロリホロホロ

気づけばまた、午前を回っています。

皆さまお元気ですか。と言うても、皆様なんて、
あなたとあなたとあなたとあなたとあなたくらいしかいないのですが。
ご存知の通り先日誕生日を迎えました。ありがとうありがとう。
誕生日だったからどうってことはなく、
今年はいつも通りの普通の日々に心の底から感謝するそんな日になりました。
産む!という一大決心をした母親、31年とその十月十日前から母親だった和子ちゃんに感謝したいです。ありがとう。
我が家は毎年、ありがとうの意味で誕生日当人がご馳走します。色々。
で、当日姉と母に甘味をご馳走したわけですが、池の西武のお化粧室にて、この夏一番!てくらい笑いました。姉と。
というのも、個室に入った時点で誰かのケータイが鳴った。
みんなも知ってるあの着信音です。
私はてっきり姉かなと思い、姉は私かなと思ったみたいですが、どっちもあまり音がなる設定にしていないので、全くの見当違いなわけです。

個室を出たら、初老の方が一所懸命にお話しされてました。
あ、この人だったのかさっきのあれは。

聞きたくなくても聞こえてくる割とデカ目のデシベル
少しばかり右に上がるニュアンスの方言。どこの方言かは分かりません。
先日の雷が誰々さんのお家に直撃して家が全焼したというヘビーな天災を、まるであの芸能人不倫会見してんだってーくらいの軽さで言うもんだから、こっちもえぇぇ〜家焼けちゃったのマジで?ってなって、
本当、ごめんなさい。盗み聞きしてたわけじゃないんですけど全部耳に音として入ってくるのです。

でも気にせず、多少のショックはあるけれど、姉とリップを直してました。
そしたら、とてもエレガントな出で立ちのその方から、【今ねぇ、お便所】ってセンテンスが出てきたからもう私と姉は鏡ごしに見つめ合うしかなかった。
次第に姉の鼻がヒクヒク動き出し、
私の鼻もヒクヒクしだし、二人の唇は開けたら最後、頑張って閉じてるけどもうダメだよぐらいに開いてまして、気づいたら二人とも笑いをこらえて涙を流していた。涙を流していた!
こんなにも笑うことを堪えなきゃいけないって拷問。人は、笑うと泣くのです。
あの瞬間の変な笑いは、私と姉しか共有できません。
二人だけが知っている爆笑です。
こうして書いてる数千倍は面白さが凝縮されていたのです。
だって、便所だけど【お】をつけてるからやっぱりエレガントだわとか考えたわけです。

伝えられないもどかしさよ。
全て相まって面白かったのに、これをどう私が伝えられるよ。
無理っす。

話は変わりますが、夏の間のおっさんの不機嫌、どうにかなりませんか?
私この一夏で、5回ほど駅での揉め事、大きめの取っ組み合いに遭遇しています。
全て、中年のサラリーマン同士でした。
どうしたもんかな。不機嫌を減らすのは本人しかできないのに。誰かが拭ってくれるわけではありませんよ。人のせいにしないの、いい大人が。かっこ悪いぞ。
プンプン!

写真は例のお便所のキセキ前。母の撮影にて。

どうした訳だかさっちゃんは

最近、『どうした訳だかさっちゃんは』という一文が頭に住み着いて離れません。
二週間ほど前にふっと沸いて出てきた文章なのですが、
こういうことが割と多く、繋げて繋げてブログを書いたり、インスタグラムに寄せたりしています。

さっちゃんは多分、
スーパーでの買い物中、昔の彼氏を傷つけた自分の一言を思い出し泣き出したり
部長の『白髪あるよ』に帰りのバスで怒り慄いたり、
酔った勢いで交番に敬礼してみたり、
特売のエビ買ったはいいけどチリソースを忘れてしまったり、
音楽そのものに本気でなりたいと思ってみたり、
サウナ→水風呂→サウナ→水風呂を繰り返したり、
接客中の友達に近づくも気づいてもらえずニヤニヤしながらその場を去ったり、
そういう、普通の女の子です。

あなたの中にもさっちゃん、いるでしょ?

トルストイの言うこと

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

レフ・トルストイの名著、
アンナ・カレーニナ』の冒頭文です。


日曜日の夜。
20:00-23:00の3時間の間に、
三人の友人から相談を受けました。
電話ないしはLINE相談。
家庭事情や恋模様、色々です。
偶然に偶然と偶然が重なると、これ必然かな?という気がして、
私は、彼女たちがどうして私に相談をしてきたのか、なぜ今日このタイミングで重なったのかなどを、それぞれのとても真剣な話を聞きながら、そんなことを思ったわけです。
でも理由なんかなくて、たまたまそうであっただけで、たまたま私も相談に乗る時間、話を聞く時間があったまで。
今日ってそういう日なの?って答えにしかたどり着けませんでしたが。

相談とは関係ありませんが、
日々を過ごしていると、私たちはあらゆる場面でさまざまなことに触れます。それは、てっぺんが見えないほど高い場合もあれば、石ころ程度の大きさで、蹴ってしまえば事足りたりもします。

純度100%の幸福なんてない。
幸福が、幸福だけの要素で形成されるなんてありえないと思ってます。
傷があるからこその幸せ。
絶望があるからこそ希望があるのだと、私は思うのです。

誰かの不幸や災難を面白おかしく吹聴する人がいます。
そんな事で比べたって、あなたの不幸は無くならないのに。
嘲笑い、話のネタ、酒のつまみにしていいのは、何もかもが完璧に幸せな人だけです。
そう言う人しか、他人の不幸を笑ったりしてはいけないのです。本当は。
あの子に比べたら私はまだましだわ、なんて、とんだまやかしです。
でも人間はしょっちゅう、こういうくだらない事を真剣に考えて己を癒したりします。
とは言え(かなり独特なイントネーションのとは言えが口癖な友達がいて、とは言えは彼女の常套句なので、使うとなんだか気が引けます。。。彼女はとても素敵な人で、その話はまた今度)私も、
こういう事を無意識のうちにしてしまっていて、いつも冒頭の、海馬の奥底で眠っているトルストイ爺ちゃんの肩をユサユサ振って起こすのです。

なにが言いたいかというと。
明日はわが身だという事を忘れるなよ。
それぞれの尺度の幸せがあって、それぞれの不幸があります。
誰も何も、そこに踏み入る権利はありません。
法でさえも、そう思います。

そして私は、そういう曖昧模糊な境界線を、あっちからもこっちからも見つめて記したいと思います。

カメラを止めるな!

※ネタバレになるので鑑賞予定の方はお控えください


映画、カメラを止めるな!を観てきました。
今通ってるスクールの出身ライター上田慎一郎さんが脚本・監督・編集ということで、
5月の入学から毎週教室に入るたびに気になっていたポスター。
まず、タイトルがどうしても気になる。
そしてポスターのデザインが気になる。
もう一つ、俳優の頼りない顔がとてつもなく気になる。
気になりっぱなしでした。
未だ教室に、友達なんてもってのほか・挨拶を交わす知り合いすらいない私は、一人悶々と気になっていました。

ある日のサマーセミナーで講師が、この映画業界人で知らなかったらモグリです!って言っていて、あぁやはり。とても当たっているのか、観たいな。と。ゆー事で、劇場拡大もした事だし行ってきました!

※以下、映画本編に沿ってわたし個人の動向も記していきますがいよいよ本格的に大幅なネタバレしますので鑑賞予定の方は絶対に!すっ飛ばしてください。


男子三人組と、中年カップルの、ちょーど一席空けて距離取ろうよ、これはグループ鑑賞でよくある事ですね。暗黙のなんとかってやつですが、
その一席にコーラ持ってズカズカと入り込み着席。
事前購入だったからしょうがない、堂々と座り、すぐに本編スタート。
わたしはブリトーを食べ始めます。

冒頭36分ほどのワンカット。
んー、ブリトーとコーラを手になんとも言えなくなる私。
いや、これ、ワンカットでこれすごいけども、
なんだろうかこの様々な違和感は。
画質は荒い、トンチンカンな間、唐突な説明台詞、中盤やたらと変な動きのゾンビ、演者の監督はここでって時にしか出てこないし、必要以上に長い叫び声。などなど。とにかく変。
どうしたもんかーくらいの沸点の違和感がかなり散りばめられてて、あーこんな感じの水準か。
でもやっぱりゾンビだから、嫌な緊張感はあってビックリはするし、クスッと笑いが出て来ちゃうところもあるんですよ。
それは、内容そのものよりも、このゾンビ映画の描かれ方にクスッと笑う。その類です。

それでも、そーっとそーっと、画の中になにかが隠れてる気がして用心しながらそっとブリトー食べます。
時々、唇がヒリヒリしてきて、チリソースいつも抜いてるのに今日は浮ついてたんだ、私抜くの忘れてる、、、あ、でも美味しいな、コーラすすむな、、、ビール飲みたかったけど高かったな、なんてことを思いながら。
両サイド男性陣は飲み物すら買っていないというのに!

ワンカット終わりまして、真髄はここからです。

なるほど撮影隊の物語なのね。
いわゆるバックステージ。
正直、劇場のみんながホッとしたことでしょう。
そうだよね、あのままずっと行くわけないよね。
ケーブルテレビ【ゾンビチャンネル】開局記念ゾンビドラマ、30分ワンカット生放送を成し遂げるべく、
しがない中堅監督が孤軍奮闘しながら、脚本を書き本読みをし、リハを繰り返し本番当日を迎える。
アクシデントから、なぜか監督とその妻も、出演することになります。

分かってるのか分かってないのか分からない局のプロデューサーと、
こだわりが強くわがままで、演技以外ではチャランポランな役者陣、裏で転がりまくって駆けずり回ってる制作スタッフ。
後半の1時間半?はとにかく、ヤバイ現実の連続です。
泣きべそかきながら当日までなんとか仕上げていっても、想定通りには進まないのが現場。
ショーやイベント、生放送の裏側は、
こんな感じで必死に汗水垂らして繋がっているます。
大体の場合がPは、初日乾杯などで、無事に事故なく初日を終えてよかったです!と笑顔満点で言いのけるのです。

どのシーンもとてもリアルで滑稽。
そして最初に感じた数々の違和感は、瞬く間に全て!回収されてゆきます。
小さな仕掛けをたくさん丁寧に散りばめることによって、笑いは次第に大きくなり伝染され、場内は爆笑に包まれます。
それはもう、すごい一体感ですよ。
笑いすぎていた私は、うっかり右隣の男性と足が触れていたことに全く気付きませんでした。
まっっったくです。
体が動いてしょーがないくらいの笑いなんです。
あぁ、書いていてもまた観たくなる。
すげーよ。

ひたむきで丁寧で愛のあるシーンがずーっと続くもんだから、私は腹を抱えて笑ってるのに涙が出てきました。
そうだよ、ものづくりってこんなに素晴らしいんだよ。
クールな顔してたって、みんな火を隠し持ってる。

テレビの向こう側にはなんとか伝わらずに済んだ事故の連発も、とうとう隠しきれなくなり、
最後の最後、物語の核の部分で演出を変えなきゃいけない選択に迫られた時の監督の、

クレーン無し!のあの表情。
思い出すだけでも胸がギュッと痛くなります。

まぁそこで全てを汲んでくれるよく出来た娘のお陰でこと無きを得るんですが。
とにかく素晴らしい!の一言でした。
この感動、この笑い。だれかと共有?
しなくてもいいです、劇場で、満員の皆さんと謎の一体感を味わえただけで満足です。

この映画をすでに観ていた友人と(周りで観た人が誰もいないので唯一共有できる友達です)
、全てのことに共通するよねって話になりました。
何も素晴らしいのは、熱いのは、目に見えるような創作だけじゃない。
彼女は旅行会社に勤めていますが、
1人の旅の為に、裏で何人ものスタッフが動いていることを教えてくれました。
当たり前に感じすぎててわからなかったリアルです。

いつのまにか平らげていたブリトー
いつもならトイレを気にして飲みきれないコーラ、
爆笑と涙で崩れ落ちた化粧、
どれを取ってしても素晴らしい映画でした。
これを成し遂げた全スタッフキャスト、曲げなかった監督!素晴らしいです。

恋をするなら真夏日に

停電で電車が止まりました。
運転の見込みがないので振替で地下鉄に乗ろうと車両を降りたら、
すぐに動き出しますアナウンス、また急いで乗り込んでみました。
電車は二、三駅進んでまた止まってしまい、結局10分で進むところを1時間程かけて着いたわけです。

乗り換えて別の電車。
すでにもうクタクタで、乗り換えた先の電車にも、1時間半待たされた人たちはいっぱい乗ってたはず。
このまま普通に粛々とこの身を運んでください、それぞれみんな、修行僧のように黙りこくっています。
私は、普通ってとても尊いと気づきます。
常々、満員電車は修行です。

そんな時、イヤホンの向こう側から怒号が。
弾かれたようにみんなキョロキョロします、は、嘘で(本来の野次馬根性なんかは先の電車に忘れて来てるのです)ノロノロ首をあげ眉を潜めて声の先をのぞいたら、
中年の男女が怒鳴りあってました。
踏んだ踏まない、しょうがないじゃない、だったら謝れ、謝れよ!と。
怒鳴る怒鳴る。
絵に描いたような、みんなの、あ、らー。。。


顔の見えない「静かにしろ!」に、秒でまた静まり返る車内が、
なんというかとても、とても異様な空間だったのです。
爆竹が、仏壇用ロウソク消しで蓋される感じ。

でも私思ったんです。
この二人が恋に落ちる確率ってどれくらいだろう。
今日はマイナスからのスタートだったけれど、感情がニュートラルかそれ以上なら、
あらやだ踏んじゃった、ごめんなさい!😣いやいや、大丈夫ですよ😉揺れますよね、ここを持って😌
なんてやりとりも、あり得るわけです。
可能性はゼロじゃないの。

このヒステリックは、暑さと疲れによるものです、確実に。
肌も触れたくないの、見ず知らずの人とは。
気が立っちゃってしょうがないの、夏だから。
だったら、恋愛は夏にした方がいいかもねと思ったのです。
愛とか恋とか、そういうのは正気じゃ出来ません。
今までだんっっっぜん冬派でしたが、これからは夏を推奨します。
皆さん、恋をするなら真夏日に。
色々大目に見れるよ。

写真は、愛とか恋とかに頼らずただただ馬鹿だった10年前の我々の二日酔い・昼。

ピーマン。

読んで字の如く、ピーマンについて。

私はピーマンが嫌いです。
ピーマンとの出会いは軽く25年は遡ります。

当時住んでた家の近くに鰻屋さんがあって、名は『長老』と言いました。今もたぶんある。
ピーマンもそうですが、鰻も焼き鳥も梅クラゲも、長老のおじちゃんに仕込まれました。
長老はとにかく何でも美味しかった。
我々は長老と、長老で働くおじちゃんおばちゃんが大好きでよくご飯を食べに行ったのですが、
メニューにピーマンの肉詰めなんかもあったのです。
姉たちはみんな、必ずこれを頼みました。
長老のタレは割と甘めで、初めてみた私は当然、焼き鳥の甘さを連想します。
が、食べてみて衝撃が走ります。
なんだこの苦いの!
それ以来、私にとってピーマンは『苦い』の象徴でしかありません。

獅子唐、パプリカ、青唐辛子、ゴーヤ、食べれます。むしろ好きです。

でもピーマンだけは本当に無理。

今日お昼にパスタを食べに行きました。
私はそこで、イカとたっぷり海苔のパスタを頼みました。
以前隣で頼んでいる人がいて気になっていたのですが、今日も席について店員さんがオーダーを最後読み上げるまでサラダランチと悩みに悩んで頼みました。
決めたからには海苔パスタモード。
ルンルンで待っていたのです。

ようやく出て来ました、
イカとたっぷり海苔のパスタ。
山盛りの海苔を満遍なく、混ぜます混ぜます。
すると中で緑の物体が散らばっているのに気づきます、しかも海苔に劣らないくらいの量で。。。

全く見当違いのそれに、もう肩を落とすしかありませんでしたが、
しょうがない、全部避けて食べました。
お店の人ごめんなさい。

もうさ、この歳だしちゃんとしなきゃダメじゃんってことは分かってんだけど、無理なの。
食べたが最後!って感じになるじゃん絶対。

三つ子の魂百までと言いますが、
まさに幼少期の衝撃は呪いと化します。
呪いですよ!

ちなみに、カレーライスを克服した今、
嫌いなものはピーマンのみになりました。
いつまで続くの?克服する気はゼロですが。

大陸の血が騒ぐぜってか

時たま、馬鹿をやらかします。

土曜日の朝は毎週、早くから表参道に繰り出して、
通っているスクールの課題をやってます。
一週間、課題のために考えを巡らせて、
超集中で課題に挑む朝の2時間くらいをとても大事にしています。
人気がまだ少ない明治神宮前の並木道の暑さはなんとも心地が良くて、
スクールが終わってスターバックス表参道B-side店に来る頃、秋も行ってしまって私はしみじみ今のこの半年間を思い出し、
数々の課題や、そのために生きていた時間や物語とか、
いつもの通り大げさに感傷に浸るんだろうなと思うほどに毎週オートマ化された朝の2時間なんです。

その日も漏れずに早起きして行きましたよスターバックス表参道B-side店に。
で、機械化されててそのまま注文しましたよ。アイスラテトールサイズ。
いつものところに座ってカバン見ましたよ。
そしたらなんと、原稿用紙忘れてましたよ。
一体どうしたんだ私!
このバカバカバカバカ。ドアホ!

これじゃあただのラテ飲みに来ただけ人間。
そんなことは私以外の誰もしらないけど、
急激に恥ずかしさと悔しさとが込み上げて来て笑うしかないし、
笑うまいと思っても朝からの一連の流れが頭から離れなくて勝手に再生されて肩がプルプル笑い出し、それでもやっぱり悔しいからとりあえず15分くらい座ってた。
スカした顔でラテ飲むんじゃないよまったく!

あがいたって結果は同じ。

帰って原稿用紙持ってまた出直すしかないんだ。
授業は午後出るしかないんだ。
それでいいじゃない、この世の終わりじゃないだけいいじゃない。
せめてもの救いは、迷いに迷ってメキシカンサラダラップを買わなかったこと。
買っていたらただのサラダラップ食べに来ただけ人間、誰にも知られることのない羞恥心で尚更完全に心折れてた。
ズタボロブロークンハート。

ここまではInstagramにもあげたんですが、実は続きがあります。
この後家に帰り、家族に馬鹿だ阿保だと散々言われ笑われ、姪には頭を撫でられ、
やっぱり15分ほど休んでまた表参道に繰り出しました。
別にさ、こうなっちゃったんだから家の近くで課題しても良くない?
けどそうは問屋がおろさなかった。(←これ前回記事のブルックリンパーラーの店員さん知らなかった)
そうは私のズタボロブロークンハートが許さなかったので、
またスターバックス表参道B-side店まで出向き、
ようやく胸を張ってアイスコーヒーにメキシカンサラダラップを頼んで席に着きました。

いつもの席にはすでに先客がいたので別の席に座ったら、
お隣は中年と初老の外国人男性二人、英語で熱心に話してます。
私は構わず鉛筆を走らせます。
書きます書きます、朝の屈辱を払拭する如く。書き殴ります。
ちなみに、鬼の親子のワンシーンを書いてました。
(結果、思っていた以上に切ない出来になりました、まるで私の心を反映するかのように。魂は宿ります宿ります)

話していたのは主に初老の男性の方で、中年男性は黙って熱心に頷いている。
良きところで中年男性は、次の再開を約束をして去りました。

五分?十分?
黙々と書き進める私、右に熱視線を感じながら。
こうなったら話しかけられるのはもう必然の流れよ。

英語で。
あなた何やってるの?
あ、シナリオ書いてるの、課題なの。
いつも思うんだけど、縦書きって不思議!
ネットのテキストとか全部横書きじゃん!

て感じで話が弾みまして、20年以上日本に住んでるステフおじさんの日本語の疑問を聞くことに。
彼はどうやらアメリカンで、アイルランド語ゲール語を学んで日記を書いているよう。
日記を一部見せてくれたけど、
勤勉でとても感心しました。
なるほど、若さの秘訣は学びの姿勢か。

課題終わらせなきゃいけなかったけど面白かったのでそのまま話します。
周りのみんなも、え?この二人知り合いやったん?的に見てきます。

そんな中、ステフが言った衝撃の一言。
僕は君が、韓国人だと思ったんだー。


!!!!!!!!!

だってとてもフレンドリーだからー。
日本人は僕が話しかけてもあんま反応してくれないんだよー。

って。
あぁ、滲み出る、アイデンティティたるや。
衝撃で物も言えんかった。
いや、言った。すぐさまステフに言った。
日本生まれ日本育ち、でも血は韓国。

どおりでねー!!って笑顔が帰ってきたのは言わずともお察しのことでしょう。

ちなみに、以前韓国では二回、モンゴリアンに間違えられてます。
どゆことなん?
私の丸くて平べったい顔よ。
一体どこまで大陸顔なん?