胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

真夜中通信 vol.1 真夜中の銀座、ネオンにドラマが宿る。のかもね。

雑居ビルの6階から1階へ降りるエレベーターは3機もあるのに、どれも全然来ない。
ケータイを片手に貧乏ゆすりをしてみても全く意味はないのに、ついつい足が動いてしまう。
やっと来たエレベーターにはすでに何人かの先客が乗っていて、気持ちを抑えながらうつむき加減でよそよそしく乗り込む。
ビルを出ると外はすでに真夜中で、仕事納めでハメを外したオヤジや、キャッチのおじさん、No.5の香り漂う可憐でどこかくすんだお姉さまたちが揃ってタクシー乗り場への道を行っていた。

ケータイのダイヤル検索をし、12時を過ぎているというのに電話をかけた。
さっき、トイレ休憩でこっそり読んだラインの内容を早く聞きたくて。
彼を起こしてはいけないからと小声で話す彼女の声はとても嬉しそうで、それを聞くと涙が出てきた。気づけば私は走っていた。
霞む目元に青信号が滲んで、興奮気味の声を耳に、なんてドラマな日なんだろうと思った。
2000年以上前の今日、世界を救う神の子が生まれたらしい。
そんな夜に、彼女は愛する人と一生を共にする誓いを立て、私は東京のど真ん中でネオンの光に泣いている。
タバコとお酒の臭いにまみれた、巻いた黒髪をなびかせ、息を切らせながら。
誰かのために泣ける聖なる夜も悪くないのかもしれない、そう思った年の瀬。