胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

あの坂

金曜日の真夜中は足の踏み場もない程人で溢れているバーが、
火曜日の22時前では申し訳程度の客しかいなくて、行きも帰りも覗くけど変わらなくて、
思うにそれは、平日の夜にご飯を食べるには少し駅から遠いし、そもそもちゃんとしたフードメニューがあることすらみんな知らないし、
平日の夜に酒を飲むにはやっぱり、駅から少し遠いから。この坂を下ってあの店にたどり着くのはどうしても金曜の真夜中であって、千鳥足が適してる。
シラフじゃ女の腰も抱けないような男も、或いは相手の目すらまともに見れないような女も、酒の力でどんどん下っていける、そんな坂。
この店はモスコミュールが美味しいの!と教えてくれた彼を思い出す。彼は会うたびに、とてもいい顔で笑う。
私が好きなこの街は、そういう街だよなと思いながらこの坂を登り、
登りきった頃、ミニスカポリスみたいな格好のおじさんが神妙な面持ちで仕事の電話をしていて、
だけどやっぱりこの街はこういう街だよなと思った。
少しだけ、安心した。

私が今こうしていることを、誰も知らないし誰も知らなくていい。
私のプロセスなんてものは、私以外の人にとって何一つ重要じゃない。
この1ヶ月弱、本当にたくさんのことがあった。
2018年6月はとても大事な時になった。
そんなことは、私だけが分かっていればいいから、どうやって向こう側へ渡るか、それだけ考えていればいい。
そのために苦しむことなんて、別に大したことじゃないと言い聞かす。苦しくて苦しくて苦しくても、お澄ましして歩いていけばいい。
時間が止まることの方がよほど恐ろしい、そう思う。