胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

空が赤けりゃ地元を思い出せよ

見てくださいこの空。
空が赤いので、私はかつて住んでた家を思い出す。
一度だけ、これくらいに赤い空の日があって、
(私の記憶では一度きり)
当時私はまだ幼稚園児で、空がゴロゴロ鳴って、いかにも、これから何かが起こりまっせ!的な画だったのを覚えている、とても鮮明に。
玄関外廊下の踊り場で、空がこんなにも赤くて近いものかと驚いた記憶。
記憶というものは多かれ少なかれ、様々な要素がプラスされて歪曲されるから、もう過去になった時点でそれは事実ではなくなると思ってますが、
この先に起こるであろういろんなことにワクワクして、世界で私だけ、世界に一人しか存在していないような気がして、赤色の空に釘付けになったものです。起こるような気のする、そんな空でした。
一方で記憶は、写真のように切り取られて頭に保存されるという話を以前聞いた事があるので、そういう意味では私のピンク色の空が地元を直結させるのは間違ってないようにも思うのです。


怖い夢ばかり見ていた幼稚園時代、
親の喧嘩はしょっちゅうで、
誰もいないとわかっていても駅の公衆電話から家に電話をかけ、
ランドセルに隠し持ったCDプレイヤーとヘッドフォンで駅ビルと本屋とレンタルビデオ屋を徘徊する。
日曜日が嫌いだった。日曜日に出てくるカレーとサザエさんの時間が大嫌いだった。
嫌いなカレーは、最近克服した。
ケーブルテレビが友達で、録画していたMTV VMA2000のエミネムのシーンを延々繰り返す。
当時はMTVが、まだvibeだった。

月曜日は学校を休みがちになった。
母はそれを月曜病と言って、無理に行かせたことは一度もなかった。
思えば彼女は、中学生の姉が、曲が浮かんだから休みたい!と言えば休ませたし、インスピレーションの為と言ってピアスを開けても叱ることはなかった。
姉は、曲作りに没頭した。
私はその内月曜以外もよく休むようになった。
母は、四姉妹をテキトーに、放任主義で見守ったし、
父はごくごく稀に、娘たちの恋愛相談に乗った。
私は、幸せで楽しい日が二、三日続くと、この幸せは長くない、その内またよくない事が起こる。
そんなことを本気で思う子供だった。

はやく大人になりたかった。
大きくなったら、ある瞬間何かが変わってどこかに行ける気が本気でしてた。
キラキラしたどこか。誰かの何かになれるそんな未来。
楽しい思い出も、思い出したくもない過去も、たくさん詰まった街。
ネオンがポップでチープで、子守唄は近所のスナック・アルパとみやぎのから流れてくるおっさんの昭和歌謡曲。
鰻屋の香ばしい炭の匂いが漂う街。
そんな地元の幼少期、千葉県市川市南八幡
家族でたくさんのことを置いてきた街だ。