胡瓜の真夜中通信

胡瓜と真夜中をこよなく愛するアラサー女史が、日々の色々をまるで闇の微かな煌めきのように、名画の一コマのように切り取り過大解釈して綴ります。どうせ生きるならドラマがなきゃね。更新はたぶん真夜中。たぶん。

夢見る男と女、その狭間に吹く風は寒い、強い、あるいは春一番

まず、volって書くのやめました。理由は特にありませんのですが、なんとなく。2年前のそれとは少し異なるテンションでまた書き始めてることは確か!ということを、ここ二、三日、いや春の訪れとともにかなり意識しています私。

こんばんは。

 

少し前まで映画を観てました。

ハリウッドよろしいヒーロー達が力を合わせて絶対悪と対峙するって話です。

時刻はAM2:14

最後とてもとても眠く、戦闘シーンが長く感じられてうつらうつらでした。これが映画館の土曜日夕方、右手にビールかコーラならまた違ったのかな。

そりゃそうよね、だってお風呂入ってパジャマにメガネ。完全今すぐ寝るひと仕様だもの。

映画を観ながら姉に問う、もしもアメコミ映画のヒーロー(男女問わず)になるなら誰になりたい?

ワンダーウーマン!と強く芯のある女性に惹かれる姉。

そして束の間考えながら、でもやっぱり一般的にはアイアンマンかバットマンじゃない?と。

どうやら姉は以前、友達の英語圏男子達に誰が一番好きかを聞いていたらしく、男子達は口を揃えてアイアンマンと答えた。そしてそのうちの一人が、君はキャプテンアメリカが好きでしょ?と女の姉に言う。

 

これはどういうことか。

 

ここから先は、私と姉のごく個人的な、東京の片隅で真夜中に駄弁りあったなんの根拠もない話として読んで欲しいのですが。

アイアンマンとバットマンが持っているものは、巨万の富、地位と名声、頭脳、女。そして人間であるということ。

この人間であるということは非常に大きなポイントで、何々の神になるのはちょっと大それているし、よく分からないけど何かとても大きなものを守り、よく分からない大きなものの意味を自覚し、神として生きて行く覚悟がないとダメなのよね。だって、マイティソーなんかはそれこそ神様だから。そりゃ強いです、タフです、精神的に。

でもアイアンマンとバットマンの二人は人間だから、人間の出来うる限りの豪華な生活を手にしつつ、持て余すほどの能力を活かし、時に正体を隠して市民を救い、また世間を皮肉り、女をモノにしたい下心まで画面にさらけ出す。それがまたどうして、いやらしくない。

この一連の人間らしさが、世の男性陣の心を掴んで離さない所以かなと。

 

目に見えない大きな愛の為、懸命にひたむきに市民を家ごと守るようなスーパーマンや、盾一つで戦うキャプテンアメリカは、人間界の男からすると崇高すぎて近づきづらく、しかもどこか物足りないのだ。つまらないのだ、真面目すぎちゃって。あとは、五感に直結するわかりやすいロボットとか、戦闘機のあの車。その類のド派手なショー感に男はロマンを見るのかなと。

男の人はみんな、子供の頃は誰だってヒーローになりたかったんだよとある人が言っていたことを、10年も前に聞いたこの言葉を、私はすごくよく覚えてる、ずっと。

だけどきっと、彼の場合は、スーパーマンに近い感覚だろうなと推測はしてる。

本当のことは、分からないけど。

 

 

ならば女子はどうなのか。

キャプテンアメリカ、かっこいいよね。お国のために兵役志願してさ。

そして私だけを見てほしいよね、一途にさ、美しいじゃんその方が。

堅物だけど、ヒロイン、幸せ者め!って思うじゃん、たぶん。冗談通じないところが少し難点だけど、世界平和のために戦ってる私の彼、イコールみんなの彼。女冥利につきるじゃん。

ただ、女も欲深いところが大いにあるから、現実世界なら飽きちゃったりするのかな。手持ち無沙汰になったり、火遊びしてみたくなったり。

 

まぁ、私はマイティソーの弟、ロキが一番好きですけどね。

それに、キャプテンアメリカはご存知の通り、人間な!

 

結果、男と女、相容れません。

真面目に取り合ったって色々無駄だと思ってる。

女は先回りをしてしまうし、男は彷徨う魂をいつまでも抱えてる。

頼られたら俄然、突いて欲しくなかった真実を差し出してしまうのが男だし、然らぬだに泣きたくなるのが女。

それでも、ピタッとハマる歯車みたいなそういう人、いるといいなと思ってる。

ピタッとハマった歯車が回って離れていくとき、隙間が空きますよね。

その隙間に吹く風が、たとえば雨の日の満員電車(夕)から解放された、池袋山手線ホームの冷ややかさあたりが私には気持ちがよくてちょうどいいと思うのです。

 

これ、なんの話?